第三章 公務員として学校事務員になった女がまた英語を生かして夢を追う

こうして晴れて、地方公務員となった私。
「学校事務」として、最初に小学校に配属されます。

国立大学事務職での経験を十分に発揮し、また、人生の伴侶となる夫と結婚をします

公私ともに充実した日々を送っていましたが、夫の支えもあり、持ち前の向上心から、また新たな挑戦へ旅立ちたい気持ちが高まります。

チャレンジの足掛かりのために、教員免許という新たな資格を勉強しながら、仕事に励む日々。

そして、ある日、英語力×国立大学×学校の事務員の3つが全て生かせる「専門職」に巡り合うことになります!

【1章】優等生だった公務員がレールを外れて留学へ飛び立つ話
【2章】TOEIC900点超えの留学から一転、パートから地方公務員への道
【3章】学校事務員になった女がまた英語を生かして夢を追う←今ココ
【4章】子どもと家族のために40歳が挑戦!TOEICコーチになる!

私は地方公務員として採用され、小学校の事務職員として働き始めました。

そして、友人の紹介で今の夫と巡り合い、家庭を持つことができました。

安定した仕事、新しい結婚生活、望んだものが全て手に入り、周りには順風満帆に見えたと思います。

しかし、支え合えるパートナーを得て、
私の心には、また英語への未練がうずき始めました。

千年に一度の不況下、当時独身で求人すら、ろくになかった時期、
英語スキル以外に大きな武器がなかった私に、公務員という職が最適だったのは間違いありません。

しかし、私はやはり不完全燃焼でした。

パートナーと二人三脚で歩む人生なんだから、一人で全て解決しなくてもいい。
時にリスクを取ってやりたいことにチャレンジしてもいいんじゃないの?

長いキャリア人生、やりがいをもって仕事をしたい、
仕事の喜びをもっと共有し合える仲間がほしい、
そして、やはり、海外と接点のある機会を、英語を生かす機会持ちたい、と思いました。

なかなか子どもに恵まれなかったこともあり、いずれ転職したいと思うようになりました。

33歳、大学に入学し、英語の教員免許取得を目指す

そこで、これまでの経歴を生かした上で、自分もやりがいを感じられる仕事の可能性を考えてみました。

国立大学、小学校と教育をフィールドにずっと仕事に就く中で、
やはり生涯を通して、教育の仕事に携わりたいという想いはありました。

私は以前から、教える仕事に実は興味がありました。
国立大学で新卒で勤めていた頃、「日本語教師」の資格を取得したこともありました。

また、教えるだけではなく、
大学で専門職として、留学する日本人学生をサポートする仕事にも興味関心がありました。

それには修士号や教員免許が有利になることを知っていました。

「英語の教員免許を取得してみようか・・・」

当時、33歳。
無謀と思う人もいるかもしれません。
私は通信大学の門戸を叩いていました。

私は、英語の教員免許取得を目指すことにしたのです。

そして、通信制大学に入学して、教職の勉強を始めて約2年が経過し、転機が訪れます。

以前、勤めていた国立大学で、「海外法人の人事制度を構築する専門職」を募集していることを知りました。

当時の海外法人の人事制度を構築する専門職

  • 任期付きだが、肩書は「大学教員」
  • 年収も今よりアップ
  • 大学教員の肩書 = 教育系専門職に有利

またとないチャンスに思えました。

何より、これまでの自分の全てが生かせると感じました。

国立大学での事務職経験、英語のスキル、小学校で人事含む運営を担っていた経験、
自分の全てをぶつけることができる!と思いました。

私は、この挑戦が今後の人生にとって大きな転換点になると信じ、勇気を出して履歴書を送りました

やはり、ここでもTOEICの点数が面接官の目に留まりました。

「これだけTOEICで高得点取れる方は珍しい。
ほぼ満点、すごいですね。
ですが、学校事務ということは英語生かすお仕事されてないですよね。
実用の面では大丈夫ですかね?」

大学教員のポジションだったため、面接官には大学教授もいます。
私の心に緊張が走りました・・・
そして、英語での面接が行われます。

実は小学校で英語しか話せない保護者と児童がおり、その通訳を任されていたので、
英語と多少の接点はありました。

そして、何より、英語教員免許を取得するために、
そして、いつか修士号を取ろうと思い、続けていたオンライン英会話のおかげで、
英語面接も問題なくクリア。

公募選考の結果、見事、合格!
この後、ハイレベルな内容の仕事が、私をさらなる成長へと導いていきます。

英語を生かした専門的な仕事とやりがい

仕事は想像通り、ハイレベルで、英語もフルに生かせるものでした。

初日から、海外拠点の職員の集合研修。
全て内容は英語。内容は人事関係の専門用語ばかり。

初めは英語にも仕事内容にもついていけない。
「来るところ間違えたかも・・・」
こう思い、軽く後悔しました。

しかし、諦めず、まずは日本語で法律の専門書を読むところから始め、

オンライン英会話を細々やってたところから、
毎日の音読習慣も復活させて、以前の英語力を取り戻すことから始めました。

そして、半年後には
スタンフォード大学院修了の上司から
「本当に使える英語ができるのは〇〇君とあなただけだな!」
と認めてもらえるまでになったのです。

私の仕事は、主に複数国の法律事務所の弁護士とやり取りしながら、
就業規則や給与制度設計を行うものでした。

慣れない法律用語、全く見も知らなかった発展途上国の情勢、
英語で弁護士と法律用語交えたテレビ会議、大学の役員教授との間を行き来する毎日・・・

何もかもが初めてで分からない状況。
全てが手探りだけど、専門家として採用された私に大きな裁量が任されている。

その状況を心から楽しみ、自分の中の専門知識が蓄積されていくことを喜びました。

自分が伸びしろいっぱいに引き伸ばされていく感覚が嬉しく、
意識の高い職員や上司に囲まれ、充実した毎日でした。

精神面で充実したおかげが、妊活で苦労していた私も第一子を授かりました。

育休中に教育実習!念願の教員免許取得へ

学校事務の時に始めた教員免許の勉強は、4年目に突入していました。
私は無謀とも知りながら、第一子の育休中を機会に、教育実習へ向かうことにしました。

キャリアに穴を開けず、育休という期間を自己研さんに使える、またとないチャンスだと思ったからです。

とはいえ、教育実習の当時、子どもはまだ一歳未満・・・

しかも、当時36歳だった私を教育実習生として受け入れてくれたのは、
地元の中学校ではなく、通信大学がある東京の中高一貫校。

平日は附属校から電車1時間程度の場所に住む義母に子どもを預け、
私はマンスリーマンションを借りて実習に専念することにしました。

初めは「どうやって中学生に注意をしたらよいのだろう?」というところから、始まりました。

個人指導の経験はあったものの、一斉指導は日本語教師養成講座の実習、数回のみだったので、
全く自信がないところからのスタート。

初日に「先生頑張れ!」と声をかけてくれた生徒。
新聞記者になりたいという夢を真剣に語ってくれる生徒。

私の方が色んなことを学ばせてもらい、助けてもらっていると感じる日々でした。

最後の授業では、Read, Look up and sayという種類の発声練習を行っていた時、
指示がもたつく私に、ある生徒がかけてくれた言葉。

「先生英語じゃなくてさ、
『せーの』って号令かけて。
私たちが一斉に発声するからさ。」

生徒と私の大合唱が教室に響き渡りました。

教師は生徒に助けてもらいながら、成長していくんだな、そんなことを感じました。

思いがけぬ色紙、個人的なメッセージカードのプレゼント、
最終日は号泣の締めくくりでした。

こうして、私は念願の教育実習を終えて、後に37歳で教員免許を取得。
英語のおかげで、育児で忙しいながらも、公私ともに充実した日々を送っていました。

ところが、私は大きな落とし穴を見落としていました。

育休復帰後の仕事です。
育児と仕事の両立は、思うようにうまくいかなかったのです。

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