外資系企業で大失敗をした話

こんにちは、きなこです。

先日、Faccebookに投稿して大きな反響を

得た投稿がありました。

それは、私が10時間に及ぶ勉強を毎日して

やっと手に入れた国家公務員を退職し、

カナダ留学し、TOEIC985点を取得。

そして、悠々と帰国するも、

リーマンショックで職がなかった頃、

何とかありつけた正社員の座で起こった

大失敗の話から得た教訓と

今の英語コーチとしての活動の理念を

お話したものになります。

少し長くなりますが、聞いてやってください。

【覚悟が足りない】

先日、クライアント様のお一人である

起業家さんとのセッションで

すごく心に響いた言葉。

私達って実はすごく幸せだ。

でも時に思う。

「このままの人生、延長試合みたいに

 生きていって、

 ベルトコンベヤーに乗せられたように

 想定内に全て納めて

 何も挑戦せず、

 したり顔で生きていくのは嫌だな・・・」

公務員時代は

こんな風に何度も思ったものだ。

しかし、公務員を飛び出した後、

恥ずかしい話、何度も壁にぶち当たった。

公務員から初めて外資系企業に

転職した時はまず浮いた。

私に付けられたあだ名は

「名古屋大学」だった。

「おい、名古屋大学。

 どうして、名古屋大学出てまで

 こんなとこに来たの?

 なんで公務員辞めたの?

 考え甘いんじゃないの?

 もうすぐね、この会社潰れるんだよ」

私に敵対心を剥き出しにする人もいた。

「今まで苦労知らずの

 エリートだったんでしょ?」

そんな目で見られた。

リーマンショック直後、

先の不安に皆が怯えていた時代。

混乱の最中、

外資が買収した直後の元日系企業だった。

だから、職場の皆も

明日の我が社が向かっている先が分からず、

不安だったのだ。

「英語できないからリストラされるかも」

彼らも余裕がなかったのかもしれない。

「英語できるお前に何が分かる。

 温室育ちに何が分かるんだ。」

そんな顔をしてた。

理解してくれる人もいた。

そして、理解してくれない人もいた。

それだけの話。

だけど、私は若かったから

皆に嫌われていると思い込んだ。

事実、私は甘かった。

「外資系」

その言葉に飛びついただけ、

英語という仕事がやりたかっただけでしょ、

と言われても

仕方がないレベルだった気がする。

来月、会社が潰れるかもしれない

世界があるなんて

来月、自分の席がなくなるかもしれない

公務員時代は想像したこともなかった。

「来年会社がなくなるとしたら?

 今、何をしたらいいんだろう?

 備えなくちゃ、

 英語のスキルもっと磨かなくちゃ。」

私は怖くて怖くて仕方がなくなって

通訳学校の門戸を叩いたり、

産業翻訳の資料を取り寄せたり、

必死だった。パニックになった。

職場でそもそも使い物に

すらならないレベルなのに。

目の前の仕事を粗末にして

ただ現実から逃げようとしていた。

そう、私にはその世界で頑張るという

覚悟が確かに足りなかったのだ。

過度のプレッシャーから

頭が働かなくなり、

私は部署異動を願い出た。

社長に言われた。

「今までは国立大学で勤めていたから

 学校の中にいて、学生気分が

 抜けなかったのかもしれないね。

 これからはそうはいかないよ。

 一つ一つ、勉強していきなさい。」

マネージャーに言われた。

「いいか。次はないぞ。

 次、逃げたら、

 もう君のキャリアは終わりだ。」

このセリフは

ボロボロだった私の心に堪えた。

泣いた。

必死で働いた国立大4年間の勤務さえ

全否定されたように感じ、

無力な自分にただ泣いた。

結局、その会社で私は

活躍することができなかった。

最終的に半年ほどで名古屋の営業所は閉鎖し、

東京のみに集約されることに。

新たなことに挑戦する気力をなくしていた

私は退職することにした。

この恥ずかしい経験から一つだけ言えることがある。

「次逃げたら、終わりだ」

これだけは絶対に、ない。

人は何度でも挑戦できる。

こんな恥ずかしい、学生みたいな失敗を

27歳でやらかした私だって、

その後、多くの職場で評価され、

国立大学では

部長職が担うはずの

役員へのプレゼンを任されたり

理事レクの企画立案、プレゼンを

全て担うまでに信頼されたり

国立大法学部の教授から

「この資料作った人誰?

 うちのゼミ生より、法律のセンスあるね」

認めてもらったり・・・

大学界隈にいる人なら

この言葉の重みが分かるだろう。

前例を忌み嫌う大学で

年功序列が絶対の大学で、

係員レベルの仕事しか

したことのなかった私が

「研究員」という

特殊な立場ではあったものの

ここまでの裁量を

30代半ばで手にした。

私は常に壁を取っ払い、

目の前のことに突っ走った。

あの時の私には「信念と覚悟」があった。

だから、一か所で合わなくても

活躍の場を変えればいいだけのこと。

その時に覚悟を決めればいいだけ。

何があっても成し遂げるのだと。

今の私にも覚悟がある。

無職で何もなかった元公務員40歳が

たった一年で駆け抜けて、

法人化も視野に入る位までの成長を遂げた。

それは、

「目の前のクライアント様を

 絶対に幸せにする」

「目の前にいる小さな娘を

 絶対に幸せにする

 絶対に笑顔を守る」

「女性の人生はいつでも変えられる、

 心を殺して生きなくてもいい

 学びによって、

 絶対に人生を好転させることができる

 これを私自身が体現する」

強く信じているから。

だから、50万だって100万だって

私は必要ならば投資するし、

惜しいとさえ思わない。

必要な努力はどれだけでもする。

勉強も怠らない。

私は私自身という弱い自己にだけは

絶対負けたくないのだ。

これを最後まで読んでくださった方、

どうか、自分の力を信じてほしい。

今、あなたがいる場所は

最良と感じられてないかもしれない。

私は無力だ・・・

私はこんなところで終わるんだろうか?

こう嘆いているかもしれない。

だけど、そうじゃないんだ。

あなたが「覚悟を決められる」

場所は絶対にある。

そういう場所だったら

あなたは輝ける。

諦めないでほしい。

27歳にもなって

「名古屋大学卒」位しか

評価できるとこがなく

「学生気分の仕事」と言われ、

「次がなければ、君は終わり」

とまで言われた私が

今や個人事業主から法人設立を

考えるレベルにまで

成長していったのだから。

未来を一緒に変えましょう。

TOEICで変えていきましょう。

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